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2008年1月、ブッシュ政権の最終年に刊行された、堤未果氏の『ルポ 貧困大国アメリカ』(岩波新書)は多くの読者の関心を集めたようだ。その要因は、この「ブッシュ時代」というアメリカ社会の病理、つまり一国主義の軍事行動や、格差の拡大といった「暗部」を描いたという点が大きいだろう。
例えば、貧困層や移民が募兵制のターゲットにされていたり、民間会社による傭兵ビジネスが横行しているといった点に言及している部分、後にバラク・オバマが政治生命を賭けて改革に成功した医療保険に関する無保険者の実態を描いた部分などは、「ブッシュのアメリカ」、そして「共和党のアメリカ」への批判としては有効であったと思われる。アメリカに住んでいる私にも、十分に納得がいく内容だった。
だが、ジョージ・W・ブッシュはもはやホワイトハウスにはいない。堤氏の批判した「共和党のアメリカ」には、アメリカの有権者自身の手で「ノー」が突きつけられたのだ。2009年1月、オバマ大統領が「チェンジ(変革)」と「ホープ(希望)」をスローガンにして就任し、アメリカは変わった。
それから1年半が経過した。
長引く不況や落ち着かない社会を反映して、アメリカの国民からのオバマ大統領の支持率は50%前後と決して高くはない。だが、「チェンジ」と「ホープ」が裏切られたという思いはアメリカ人の多数派にはない。アメリカ人はオバマが大好きであり、若く行動的な黒人大統領を選んだ自分たちのことを今でも誇っている。金融危機の克服や医療保険改革などの政治的成果を挙げたことについては、世論調査の結果も支持を寄せている。
その一方で、日本人のオバマへの好感度は、これとは全く異なる冷めたものだ。好感度はゼロではないが、その好感というのは「核廃絶」を口にしたというほぼ一点に限定されているように見える。例えば、オバマの語る「希望」という概念は、現在の日本社会の状況からすれば関心を呼んでも良いように思うのだが、特にアメリカの内政においてオバマがどのような姿勢を取っているのか、格差問題を抱えるアメリカ社会で「希望」という言葉がどうして説得力を持つのか、といった点に関しては関心の対象にはなっていないのだ。堤未果氏の『ルポ
貧困大国アメリカ』の続編『ルポ 貧困大国アメリカII』(2010年1月刊行)では、オバマの改革にも同じようなネガティブな視線が投げかけられている。
2010年5月に至る、日本の鳩山政権の普天間飛行場返還における代替施設問題についても、沖縄の反基地感情、それに一定の共感を寄せる本土の嫌米感情に関して言えば「相手が反核のオバマだから誠実に対話を続けてみよう」という「空気」はなかった。ブッシュ時代と同じようなアメリカへの反感がそこには残っていた。
日本にとって、オバマというのは、発音の同じ「小浜市」からのダジャレにも似た親近感や、一部のモノマネ芸人の存在を除けば、「反核」という一点だけしか関心を呼んでいないように見える。ブッシュの残した「嫌米感情」は、オバマ政権になってもそのまま惰性として続いているようだ。
では、オバマの「希望」というのは虚構なのだろうか? アメリカ社会の、例えばオバマの民主党による格差是正の動きは偽善であり、格差にマヒしたアメリカ人はそれに騙されているだけなのだろうか? 核廃絶問題以外の部分における「オバマの希望」は、より成熟した日本社会には無関係なのだろうか? 本書ではこの問題意識に立ち、堤氏の著書への反証という形を取りながら、就任後1年半を経過した現時点で「オバマの希望」がアメリカに残っているのかを検証してみたい。
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